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倒産処理と新会社

東京はちょっと涼しい。

 8月も終わりかって思って、これからのことを、ちょっと考えてしまった。

 春から始まって、夏、秋、冬。今年もあと半分だなあ...と。

 でも、よく考えたら、違うんだな。

 1年は12月までしかないから、あと3か月。自覚しないうちに、1年の75%は終わっていた。

 月日の経つのはいうけれど、このごろとくに早いなあ。浦島太郎や。 


首都圏の明日のことを考えると、原発推進か否かよりも、早急にやらなければならないのは、東京電力の倒産処理ではないか。

 汚染水タンク対策の会見は、まるで事故3週間後の東電会見のようだ。

 質疑と応答は、交わることのない線路。東電は、将来解決しなければならない問題について、けして正面から答えることはない。

 明確に否定するのは、東電の主張にそぐわない方針について、指摘されたときだけだ。

 ここで、だから東電の企業責任が...というつもりはない。

ただ、責任を負わなければならないことについて、それができない状態に陥った法人が、いつまでも永らえることはできないという自然の摂理を語りたい。

 例えば、食中毒を出した焼肉屋で、それが原因で客が死亡したとする。実は、直接の原因は肉屋にあり、ひょっとしたら焼肉屋も被害者であるかもしれないという出来事があったとしても、死者に対する多額の損害賠償が見込まれた時点で、その店の経営は破綻する。

 従業員の生活もあろうし、おいしい焼肉を提供する社会的意義もあろう。経営を続けながら、賠償していくという経営者の目論見もあるかもしれないが、そんなこと世間は考えてくれないのである。

 あっ、そんなことしたら、損賠補償ができないじゃないか。被害者の遺族が...なんてことがあるかもしれないが、そんなこと世間は知ったことじゃないのである。

 だから、そうした起こるべくして起こる問題について、国や自治体は考えてきた。

 それが、無保険車が交通事故を起こしたらどうするか。通り魔など犯人が補償できない場合の被害者救済をどうするかなどがそれだ。

 原発事故でも、被害のケースをできる限り想定して、それに応じたきめの細かい補償を考える必要がある、。

 そうすると、原発を推進すべきか否かも、おのずと明確になるはずだ。

 何も制度がないから、補償のためにも、経営を続けながら被害者を救済していくなんて、水俣病のチッソのようなことを言っていてもだめなのだ。

 水俣病の公害認定患者は、チッソが因果関係を認めるまでに、長い裁判を続けなければならなかった。数十年経過しても解決を見ていない。

 それからすれば、さらに広範囲にわたる原発事故被害と被害者について、東電が前向きになれるはずがなく、もうそれは一企業の負える話ではないから、倒産処理をしないとだめなのである。 
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